総括 − 自らに厳しくあること

 

 

このホームページで書いたことは、ある製品の欠陥を巡って ホンダがどう対応したかである。 その対応振りを見て思い起こされるのは、論語にある「過ち(あやまち)」という言葉である。 以下は、論語の有名な言葉で、意味は広辞苑からの引用である。

・ 過ちては則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)ること勿れ (学而)

→ 過ちを犯した時は、躊躇することなく速やかに改めよ

・ 過ちを改めざる、これを過ちという (衛霊公)

→ 過失を犯したことに気づきながら、それを改めようとしないことこそ、真の過失である

・ 過ちを文(かざ)る (子張)

→ 小人は過ちを犯すと必ずよいようにつくろってごまかそうとする

・ 過ちを観て斯(ここ)に仁を知る (里仁)

→ 人の過ちをみると、その人が仁者かどうかがわかる


二千五百年も昔の言葉でありながら、わざわざホンダに関して語られたかの如くである。

クローセンシステムの設計ミスは、設計段階で絶縁対策を忘れるという 明白なミスであり、ユーザーの被害も明白。 このような状況にあっては、過ちては則ち改むるに憚ること勿れ、であろう。
しかし、ホンダは改めなかった。 過ちを改めざる、これを過ちという。 ここで本当の過ちを犯してしまった。

クローセンシステムの設計ミスそのものについて、私は一度として文句を言ったことはない。
ホンダがクローセンシステムの設計ミスを認めた時、私は たった一言の苦情も言ってはいない。 そのミスによって被害を受けていたにもかかわらず、である。 私が苦情を言ったのは、ホンダが欠陥を放置しているのを知った時だった。 過ちを改めざる態度にクレームをつけたのである。

それに対して、ホンダはどのような対応に出たのか。 過ちを文る、嘘に嘘をつぎ、屁理屈に屁理屈をついで誤魔化し続けた。
国際的優良企業のホンダであるが、一つの製品の過ちを通して その本当の姿が分かる。 過ちを観て斯に仁を知る、である。


ホンダに限らず 企業というものは利益追求するものである。 それは当然の話であり 利益の為に努力しなければならない。
しかし、そこにはルールがあり、法律を守りモラルや良識に従うことが必要である。

しかし、人にしろ企業にしろ、自己本位に走り勝ちである。 それが、ホンダの欠陥隠しの真相であろう。 きちんとした製品をユーザーに提供するというメーカーの基本を忘れ、利益の為ならユーザーに損害を押し付けるという態度であった。

人であれ企業であれ、このような傾向には根深いものがあり、古い論語の言葉が今も通用するのである。 自らに厳しくあることを改めて思う次第である。

かつて国民生活センターは 「警鐘を鳴らす意味で クローセンシステムの問題を公表することも出来ます」と語っていた。 このホームページが、その趣旨に適うなら幸いである。

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